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森の時代
[著者名] 稲葉真弓
[出版社/発売日] 朝日新聞社/96.02.01
[ISBN] 4022569441
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★ 

表紙1

--書評--
どんな激しい物語も、この人の筆にかかると奇妙に静謐になるのはなぜだろう。 『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞を受賞した稲葉真弓の、96年の作品である。

昼間は水道会社に勤める主人公、誠は、夜になると化粧をし、女装姿の「もうひとりの自分」になる。
にぎやかな知人に囲まれながらも、少年の頃から友達や母親に“オカマ”と見られていたコンプレックスを拭いきれない誠の前に、記憶を失くした少女が現れて──。

誰にも自分を明かさなかった誠と謎の少女は、同居するうちにやがて打ち解けていく。互いが似たもの同士だという親近感から、ふたりは相手の素性を知らないまま、その存在に癒されるようになる。

逃げたい過去は誰にでもあるだろう。でもそれを忘れてしまうことで、本当に新しい世界が始まるのだろうか?
悲惨な日常から逃亡してきた少女は、ふとしたことから、失くしていた記憶を取り戻し、以前の自分と向き合わなければいけなくなる。忘れたい、と願うことで本当に全てを忘れてしまうほど強い嫌悪を持っていた過去に、少女は大切なものを残してきていたのだ。

誠も、女装仲間たちも、今の自分を手に入れるために、犠牲にしてきたものがあった。ある者は家族を捨て、ある者は男性の姿と女性の心の二重生活を強いられてきた。
少女が現実を取り戻し、そこに帰っていく中で、誠もまた、本当の自分に帰るため、会社の同僚に派手なカミングアウトをする。
流行りの言葉なら、トラウマといってしまえば簡単かもしれない。 だが都会の地下深い“森”にひとときだけ集まった人間たちは、それぞれの過去と自分自身からの解放に成功する。

女性作家の目から見た“ゲイの世界”ではあるが、稲葉真弓の中では彼らと身よりのない少女は同じ「虐げられた者」なのだろう。リアリティはないかもしれないが、著者のやさしい視線が、繊細な筆跡に込められている気がする。

記入日時 2002/08/16/06:10:54  No.3

グッバイ・チョコレート・ヘヴン
[著者名] 荒木スミシ
[出版社/発売日] 幻冬舎文庫/01.06.01
[ISBN] 4344401077
[種類] 文庫本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★★★ 

表紙1

--書評--
書店の店頭に並んでいたとき、タイトルのポップさと表紙のイラストから、ティーンズ向け小説のような雰囲気を発していたこの本。荒木スミシの前作は気に入っていたが、正直いって私は、この表紙のイメージで本書を手に取るのを躊躇してしまった。
しかしこれは中高生だけに読ませておくには惜しい作品だ。

この稚拙な小説に、なぜこれほど心が揺さぶられるのだろう。
──幻のアイドル「イオナ」の妹である主人公は、ある日ヒューイと名乗る少年に連れ去られる。やがてこの誘拐劇はインターネット上で「イオナ」のファンたちの論争を巻き起こし、社会現象にまで膨れあがり──、と、ストーリーもどこかマンガ風にできている。
にも関わらず、本作がただの大衆小説で終わっていないのは、「ここではないどこかへ」という少年少女たちのナイーヴすぎる心象が痛いほどリアルに描かれているせいなのだ。

"僕たちはもう逃げるしかなくなった あたし達はもう逃げるしかなくなった この狂った現実から すべてはそこからしか始まらない"
オープニングの一節で、私はこの小説に惹きつけられた。

インターネット上でしか他人と触れあえないような、繊細だが臆病で、いつも体温の低そうな少年少女たち……著者はこうした現代っ子のふわふわした感性を表現するのがうまい。
"死にたいんじゃない、生きたくないだけだ"
作られたアイドル「イオナ」のひとことが、彼らの現実を象徴している。
主人公の女の子と誘拐犯の関係や、「イオナ」が実体のない偶像として操作されるくだりなど、不自然な点は多々あっても、私が心動かされたのは、彼ら(登場人物)の年頃だったとき、確かに同じような気持ちを持っていたからだと思う。

本作の根底にあるセンチメンタルさは、とても"今"の時代感覚にぴったりくる。
著者はおそらくこれを十代〜二十代前後の若い人たちへ向け発信し、実際その年代の読者は同時代的なこの小説を"自分たちの物語"としてキャッチするだろう。
でも逆に、自分が少年少女だったころをとうに忘れてしまった人たちや、まったく最近の若者は…などと言っている"大人"たちに、本作のよいところがちゃんと伝わるのか。ひ弱な子供たちばかり出てくる小説としか映らないのだとしたら、それは鈍感すぎる。
「ヒューイ」と「デューイ」は、すでにこの世界に何万と存在しているというのに。

記入日時 2002/08/16/06:05:28  No.2

ニッポニアニッポン
[著者名] 阿部和重
[出版社/発売日] 新潮社/01.08.01
[ISBN] 4104180025
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★★ 

表紙1

--書評--
"ニッポニア・ニッポン"とは特別天然記念物に指定されている稀少動物、鴇(トキ)の学名である。

「ニッポンのすべてが凝縮された──」などと本の帯に書いてあるので、なにかナショナリズムに関わる小難しい小説を想像したが、実際はインターネットを駆使して鴇に近づこうとするひとりの少年の話で、パソコンを日常的に使っている者ならきわめて身近に感じられる部分が多い。

だが主人公はただの鴇研究家ではない。インターネットを利用して鴇の論文を書こうとしているわけでもない。彼の名は「鴇谷」。
国を象徴するような学名を付けられた鴇の高貴さに憧れ、厳重な環境で飼育されている姿に自らを投影する主人公。彼が鴇に向ける眼差しは、三島由紀夫の『金閣寺』に出てくる青年そっくりでもある。
『金閣寺』の青年が金閣の美しさをたたえるあまり、やがてそれを壊さなければならないという強迫観念に取りつかれたのと同じく、この主人公鴇谷もやがて鴇に自ら手を下すことを思いつく。

鴇谷が引きこもりの少年だという設定は、重要なところだ。 友人も少なく、女の子にもふられ、郷里にさえ居場所をなくした鴇谷は、なかば強制的に上京させられたアパートの一室でひたすらパソコンのモニターを見つめる毎日を過ごしていた。
繁殖のための道具として飼われる鴇の実態を調べるほど、彼の怒りの矛先は、鴇と自分をがんじがらめに閉じこめている国家というシステム自体に向かっていく。「人間の書いたシナリオをぶち壊す」という思い込みは極端ではあるが、ネットサーフィンをしながら膨らんでいく妄想は17歳の彼にとって切実な問題だ。
なぜなら彼の中で、"可哀想な鴇"は"可哀想な僕"と同義語であるのだから。

国家うんぬんという大きなテーマは抜きにしても、ある屈折した少年個人の物語として、この作品は充分に読みごたえがあった。 鴇谷が緻密に計画した"ニッポニア・ニッポン問題の最終解決"は成功だったのだろうか?いや、明らかに失敗だ。
滑稽な孤軍奮闘の後、彼が得たのは自分の無力さの再確認だけだったのだろうか。

記入日時 2002/08/13/21:31:09  No.1

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