■さ〜そ■

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笑いかわせみ
[著者名] 正津勉
[出版社/発売日] 河出書房新社/01.07.01
[ISBN] 430901416X
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★★ 

表紙1

--書評--
詩人として長年活動してきた正津勉が、初の小説を執筆した。
表題作『笑いかわせみ』は1997年、文芸誌に発表された中編作品。同時に収録されている『にぎやかな悲しみ』は、のち1999年に発表された作品だ。
どちらも「小説家」の書いた小説ではなく、「詩人」の書いた小説以外の何ものでもないという印象である。

特に表題作の方は、全体が端正に構築された小説、というよりは、バラバラにあるイメージをパズルのように組み合わせて、一枚の画を完成させたようなチグハグな魅力がある。
バツいち、仕事もない、金もない中年の詩人が、オーストラリア人の若い娘と恋に落ち、行きあたりばったりで一緒に暮らし始める──、と大まかな粗筋はもちろんあるのだが、その恋愛談の端々に、鮎川信夫、北村太郎といった実在する詩人たちとの交遊の様子が挿入される。
文章中にも言葉遊びのフレーズが頻発し、唐突にカタカナ語がまじったりして、まさに現代詩のようなリズム感を味わいながら読み進められるのだ。 この懐かしいような可笑しい独特のリズムは、著者の詩人としての感性のあらわれなのだろう。

ストーリーは若い者同士の話ではないから、男女間にありがちなすったもんだが描かれても、ただの恋愛小説にはなっていない。
四十を越えた主人公の彼女に対する入れこみ加減、“ちょっと度がすぎている、病気なのだろう”とわかっていながらの、そのなりふりかまわない情熱。 熱を上げるのはいいが、歳をとっているのがツライのだ。

急上昇で加速する恋心と、意外と合理的な考えのクールな外国人女性。それに振り回される寂れた中年男性の悲哀は、悲しいのにどこか滑稽だ。
たとえば、女性と愛しあおうとすると必ず聞こえてくる、
“ア・ハ・ハ・ハ、ア・ハ・ハ・ハ……”という、笑いかわせみの笑い声。
この一見ふざけたような客観性が、本作から重苦しさをなくし私小説色をうまく薄めている。

主人公をおとしめることで物語が展開していく町田康の小説にも通じるシュールな世界観には、決してコメディではないのにクスリとさせられる。
著者の詩集を読んだことのない人にも楽しめる作品だ。

記入日時 2002/08/16/06:39:09  No.11

渋谷色浅川
[著者名] 笙野頼子
[出版社/発売日] 新潮社/01.03.01
[ISBN] 4103976039
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★ 

表紙1

--書評--
ドキュメンタリーのような、小説のような、奇妙な作品である。
主人公は地方出身、中年にさしかかった「カルト作家」の沢野千本という女性。 東京片隅のローカルな土地、雑司ヶ谷に猫と暮らし滅多に外出しない彼女が、取材をかねて渋谷のインターネットカフェに出かけていく、表題作の『渋谷色浅川』。

簡単にいえば、都会を知らない出不精の作家が“未知との遭遇”を求めて右往左往する話ではあるのだが、本作をただの体験記とするには、主人公の観察眼はあまりに意地悪。
その妄想には悪意すら感じられるほどだ。

どう考えても著者本人をモデルにしているとしか思えない“沢野千本”は、渋谷という都会で、異世界のような文化や異星人のような人種に接するのだが、この場合、彼女は渋谷を“体験”しに行ったというより“見物”しに行ったという方が正しい。
まだ見ぬ街を“こんなふうだろう”と思い描き、ときには数年がかりで妄想は広がっているのに、実際その街へ行ってみるとまるで現実感がない。彼女は“見物”するだけなのだ。

沢野千本は別の章でも渋谷だけでなく、銀座の無国籍レストラン、西麻布のクラブなど流行の場所に、一見渋々、その実、期待に胸膨らませて足を運ぶのだが、そこにいる「おしゃれ」な職業の人たちに囲まれ、違和感を増幅させる。
芥川賞作家だからといって優越感を持っているわけではなく、身近にいる編集者や文壇の世界ともいまいち相容れず、唯一、心許せるものといえば猫だけというような生活をしている彼女。
“田舎者”などと自分を卑下しているようでいて、彼女の冷静な視線は、明らかにその「おしゃれ」な人や場所を逆に差別 しているのだ。
つまり「おしゃれで格好いい場所(人)」と正反対の「病気がちで年寄りで流行遅れの自分」という図式は、誰に教わったわけでもなく、彼女が頭の中で作り上げたもの。周りと自分をわざと差異化しようとするのは、自身の被害妄想なのだと思う。

「インターネットを利用して世界中へ行けるんです」と若い編集者に言われ、主人公は思う。
“『外国へ行きました』というのと『夢で外国を見た』というのと『頭がぼーっとしている時に外国のテレビを見ていて入り込んだ』というのの区別 が私には付かないのだ”

もともと彼女にとって、現実と、頭の中の世界の境界線など存在していないのだ。
どこまでが実際彼女の身に起こったことで、どこからが妄想の中の出来事なのか、こちらまで混乱してしまう。
全編読み通すと、結局この主人公は雑司ヶ谷の自宅を一歩も出ていなかったのでは、という気がしてくる。

記入日時 2002/08/16/06:36:12  No.10

鈴木いづみコレクション1〜ハートに火をつけて!誰が消す
[著者名] 鈴木いづみ
[出版社/発売日] 文遊社/96.09.01
[ISBN] 4892570222
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★★ 

--書評--
オモチャの宝石を散りばめたようにキラキラした、でもどこかもの悲しい時代。いづみの`70年代──つまり青春時代はそういうものだった。 これは作家、鈴木いづみの自伝的小説だ。
厚底サンダルとブロンドに染めた髪、流行のロキシー・ミュージックやタイガースの話をし、クスリをやり、ミュージシャンたちと夜を過ごす。
そんなとりとめのない日々は、主人公いづみがのちの夫となるジュンと出会ったことで、否応なく終止符が打たれることになる。

いづみにとってジュンとの結婚は決して幸福なものでなく、地獄への始まりでもあったのだが、小説としてはこのあたりからが俄然おもしろい。 自分の意志も確認できないまま、勢いあまって結婚してしまった相手が見せる異常な独占欲、そして暴力。

冒頭からのにぎやかな雰囲気は一変し、泥沼化した状況が書かれていても、作品がまったく湿っぽくならないのがえらいと思う。本作がありがちな恋愛小説とちがうのは、著者の分身である「いづみ」があらかじめあきらめを知っている人間だからだ。
何にも執着しない性格の彼女は、失ってしまった時間を懐かしみながらも、それがもう二度と戻ってこないものだとわかっている。娘をもうけ、夫が死に、いつの間にかもう若くはなくなっていた自分。
10年間ずっと心の隅にあった男、ジョエルとの再会も、結果的に若かりし時代にケリを付けるための儀式となった。

恋にしか生きられないくせに、はじめからすべてを傍観しているごとく乾いた文体でいづみは綴る。
「たぶん──希望らしきものがなんにもなくても、人は生きていかなきゃなんない、ってことを十代のうちに知ってしまったんだと思う。絶対の真理なんか、この世にない、ってことを」

この著者のすごいところは、実際自分が血のにじむような思いで体験してきた出来事でも、まるで他人事のように冷静に、なおかつ瑞々しさをなくさず、ひとつの物語として昇華できることだ。

この作品を、ひとりの女性のスキャンダラスな自伝と読むのもいい。だが同時に、これはイミテーションの宝石がまぶしく輝いていた喧騒のとき──`70年代を駆け抜けたいづみと、すべての人たちの喪失の物語でもある。

記入日時 2002/08/16/06:32:52  No.9

いづみの残酷メルヘン
[著者名] 鈴木いづみ
[出版社/発売日] 文遊社/98.07.01
[ISBN] 4892570303
[種類] 単行本  [ジャンル] 小説  [おすすめ度] ★★★★★ 

表紙1

--書評--
伝説的ミュージシャン阿部薫の妻であり、女優で作家でもある鈴木いづみは、70年代カルチャーシーンを象徴する存在だった。この本に収められている2本の小説は、まさにその時代の空気を伝える作品だ。

ボーヴォワール、ディートリッヒ、フィンガー・ファイブ、ウエスト・サイド・ストーリー……、当時を彷彿させる名が端々に登場するところに月日を感じさせるが、作品自体は30年近くたった今でもまったく色あせていない。
それどころか、観念的な文章が主流と見られる現在の文学の中で、感受性だけで綴ったような鈴木いづみの小説は新鮮ですらある。

夜な夜な男たちを惑わす娼婦のような女、さつき。幼さを残しながらもジゴロのごとく振る舞う美貌の少年、マサキ。『残酷メルヘン』はこのふたりの姉弟の、互いを他者と認めながらも、心の底では相手を"もうひとりの自分"と求め合う、近親相姦的愛情を扱った物語だ。
スキャンダラスなテーマだが、決して通俗小説ではない。
この退廃、気のきいた会話文、全編に漂う孤独感!端正な文章とは言い難いが、妄想と現実が入りまじり、パズルのように組み合わさったストーリーはこの著者ならではの世界観(ムード)を作り上げている。
特にしゃれているのは、ちょっとした会話のシーンやディティールの部分。親しみを込めた皮肉やジョークを繰りかえす姉弟のやりとりを読むと、まるでフランス映画を観ているような気にさせられる。
SF作家としても有名だった著者だが、この作品は間違いなく純文学だと言っていい。

著者、鈴木いづみは1986年に自ら命を絶った。36歳だった。
壮絶な結婚生活、ドラッグ、その後の夫の死、そういった私生活から生まれたのが鈴木いづみの小説だ。 新しいかたちの愛と性を描く女流作家といえば、最近では山田詠美が思い浮かぶ。だが、この作品に比べたら、クールで洗練された山田の小説も口先だけのきれいごとにしか思えなくなる。
鈴木いづみの作品は、きれいごとの愛では済まない。

記入日時 2002/08/16/06:29:43  No.8

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